Point 「科学」と「宗教」は、相互に「万物の真理」への問題を共有しつつも、方法の違いにより対立している 古生物学者のグールド氏は「NOMA」という理論により、科学と宗教は別々の領域に属し、相互に干渉しないと主張 宗教と科学の対立の事例. 宗教に科学を持ち出すべきではないのか? そもそも宗教とは何なのか? このような見方の妥当性を考えるにあたり、まずは信仰や宗教とは何なのか?という定義から確認していく必要がある。 学術用語としての宗教の定義は学者の数だけあるといわれ、統一した見解があるわけではない。 依頼や質問につきましてはプロフィール欄の下部にある問い合わせフォームからお気軽にどうぞ。軽い話題ならTwitterでも受け付けます。, 旧約聖書はさまざまな年代に対する記述が載っており、そこには論争もあるため、つくられた正確な年代を答えるのは難しいです。, たとえば、ネジやバネには製品ごとに外面も内面も個体差があるよ。でも、公差といって許容範囲のズレなら工業製品として問題ないということになっている。, それぞれの宗教にも理想としている世界があります。一部の宗教団体はその理想に基づいて国家をつくろうとしているほどです。, 宗教の信者たちは理想状態の美しさに共感する。共感するから教えを代々受け継いで世界中に広めたがる。, 宗教団体は自らの団体内に教義から外れた人がいると、その人を正そうとする。それが変な教義だとしても。, 宗教団体は自らの宗教の純粋性を高く保ちたがるよね。それがひどく高まった状態が宗教戦争。, 共産主義者は学力偏差値の高い人に多かったりします。彼らは理詰めで実行すれば社会問題さえも解決できると信じているのです。, 共産主義でも殺された人は1億人以上とかいわれているね。現代ではイスラム教も荒れている。, そのため科学者は「現実よりも理論が正しい」、そして宗教家は「現実よりも宗教の理想や教義の方が正しい」とか思い込んでいたりします。, 世の中には科学を信じない人、理屈ではわかっていても感覚的には信じたくない人もいます。, しかし、社会は人間の集まりであり、人間はそれぞれが複雑な感情をもって動いているため物質ほど自由に他者の状態をコントロールできません。, 人間も科学も宗教も不完全だが、理想としての科学や宗教は完全であり、そこからは美しさと無限の可能性が感じられる, 一部の科学者は「現実よりも理論が正しい」、一部の宗教家は「現実よりも宗教の理想や教義の方が正しい」と思い込んでいる, 周りに高い純粋性をもとめる(科学の場合、不純な要素を好まないこと。宗教の場合、宗教団体は教義から外れた信者を正そうとすること。), 科学は普遍的で他者に伝えることを目的とし、各宗教は信者を増やそうとする(宗教は普遍化をめざす), 科学は理詰めでできているが、宗教は感覚的にできている(⇒宗教の方が感覚的であるため共有範囲は狭い), 科学の知識と信頼は宗派を超えた広い範囲で共有されているが、宗教の教義と信頼は同じ宗派の人たちの中での共有にとどまっている(非信者にとっては信頼しにくい), 科学的な物質や現象は人間にとってそれなりにコントロールできるし計算もできるが、人間が同じ宗教の信者ではない他人を強くコントロールしようとすると不和が生じる. 科学技術の発達した今日においては、宗教といえば、即、非科学的な迷信、暗示の類いである、と考える人々が多いと思います。たしかに、中世ヨーロッパを風靡したキリスト教などは、科学の発達に伴い、次々と、その非科学性・非合理性を露呈してきました。 反証可能性というのは、簡単に言えば、間違っていることを示せる状態であるということだ。. 私も、宗教と科学には現象面での違いはあっても、本質においては両者は同じものではないのかという気がします。 投稿日時:2006/11/22 13:26. 宗教と科学について3 宗教と科学の違いがいまいちわかりません。 ・宗教とは、「信じること」を信じること。 ・科学とは、「疑うこと(科学的方法)」を信じること。 信教の自由が保証されているはずなのに、なぜ創世論や疑似科学は否定されるのですか?単に信じる宗教の違いでは?「科学的に正しい」と「(私が信じる)神はそう仰っている」の違いは何ですか? - Quora 31 users jp.quora.com 宗教と科学の根本的な違いを理解し、お互いを容認することが大切でありこれらを知ることは立派な国際人となるためには必要である。 科学の出自を知り、宗教との関係について歴史的な背景から理解を深めることを期待する。 宗教と科学の根本的な違いを理解し、お互いを容認することが大切でありこれらを知ることは立派な国際人となるためには必要である。 科学の出自を知り、宗教との関係について歴史的な背景から理解を深めることを期待する。 こちらは最も有名な話ですね。 量子力学の中でで必ずコペンハーゲン解釈や多世界解釈など何らかの解釈が出てくるが、あれは量子力学の項目の中でも触れたように科学とは違う。 あれは科学と関連した哲学、もしくはその人の持つ信仰と言った方が正確である。 なぜなら科学というのは基本的にものがどのように動くのかを研究する学問であって、それ以上の意味はないからである。 もし純粋に量子力学を"科学的"に考えた場合、そこに解釈は存在しない。 ある解釈を否定する見解すら存在しない。(数式に反したものであれば別) 実験と … 科学は理詰めでできているが、宗教は感覚的にできている(⇒宗教の方が感覚的であるため共有範囲は狭い). 科学と宗教科学と宗教の違いは、その原理と概念にあります。言い換えれば、科学と宗教は、彼らの原則や概念については、しばしばお互いに区別できる2つの分野です。宗教に適用される原則は、しばしば科学には適用されません。逆も真です。 科学と宗教科学と宗教の違いは、その原理と概念にあります。言い換えれば、科学と宗教は、彼らの原則や概念については、しばしばお互いに区別できる2つの分野です。宗教に適用される原則は、しばしば科学には適用されません。逆も真です。 科学と宗教の違い. 思想・哲学・宗教の違いを図解して整理してみました。最大の違いは「価値や存在の根拠」を何に求めるか、ということです。真理を追求するという共通目的を実現するアプローチ・過程において明らかな違いがあることを認識することが、哲学・宗教を学ぶ第1歩となります。 Is … 科学と宗教科学と宗教の違いは、その原理と概念にあります。言い換えれば、科学と宗教は、彼らの原則や概念については、しばしばお互いに区別できる2つの分野です。宗教に適用される原則は、しばしば科学には適用されません。逆も真です。 1. ・科学による宗教思想の純化 反並行関係 対立関係:科学と宗教の闘争史観 ・ガリレオ裁判、進化論論争 2次元 直交関係 1)相補的 両者の足りない部分を補い合う 2)相互不干渉 扱う分野の違い 多次元科学と宗教を二元論的に捉える必然性はない その他の次元 刑法は刑罰について定めた法律、道路交通法は道路交通について定めた法律というように ... 日本に新聞社の数は大小100社以上もあります。 今回はその中でも全国紙(主要紙) ... あなたは日々、どれくらいの量の文を読んでいますか。 平均的な日本人を想定すると、 ... マナーとは、法に定められない範囲でも人として表した方がいい作法のこと。 たとえば ... 『高校生からわかる社会科学の基礎知識』という商業出版本の著者。自著は大学図書館にも多数納入されている。社会科全般に詳しい延長で鉄道路線や投資にも詳しい。 科学技術の発達した今日においては、宗教といえば、即、非科学的な迷信、暗示の類いである、と考える人々が多いと思います。たしかに、中世ヨーロッパを風靡したキリスト教などは、科学の発達に伴い、次々と、その非科学性・非合理性を露呈してきました。 科学と宗教の違いは何ですか? •神の存在は、宗教における主要な概念の1つです。一方、科学によると神の存在の証拠はありません。 •宗教によると、神は世界を創造した。しかし、科学によれば、ビッグバンの結果として世界が生まれました。 ・科学による宗教思想の純化 反並行関係 対立関係:科学と宗教の闘争史観 ・ガリレオ裁判、進化論論争 2次元 直交関係 1)相補的 両者の足りない部分を補い合う 2)相互不干渉 扱う分野の違い 多次元科学と宗教を二元論的に捉える必然性はない その他の次元 違い過ぎて何とも言えませんね。 目的から手法から存在意義まで違うし、 そもそも「宗教」で一括にできるほど、宗教って一様でしょうか。 単なる節税団体であっても宗教だし、人間の心臓を抉って雨乞いするようなのも宗教だし、試合の日にカツ丼食べるの宗教です。 科学と宗教の違い、それは 反証可能性 にある。. 科学は、キリスト教国であるヨーロッパで生まれました。 科学が生まれる前に力を持っていたキリスト教の教会から、大きな迫害を受けたのは、有名です。 例えば17世紀のイタリアの科学者、ガリレオ・ガリレイは、地動説を唱えたため、キリスト教の教会から有罪判決を受けました。そして、「それでも地球は回っている」と言ったと伝えられています。 なぜキリスト教は、地動説を弾圧しなければならないのかというと、キリスト教では、世界の不動の中心は地球だと教えているのに、科学では世界の … 違い過ぎて何とも言えませんね。 目的から手法から存在意義まで違うし、 そもそも「宗教」で一括にできるほど、宗教って一様でしょうか。 単なる節税団体であっても宗教だし、人間の心臓を抉って雨乞いするようなのも宗教だし、試合の日にカツ丼食べるの宗教です。 科学的事実というのはそもそもが絶対ではない。. 科学の解説で少々難しい部分はあったが、大変刺激的な内容。 キリスト教の宗教史と科学の発展の歴史を絡め、神の領域が徐々に少なくなって来た経緯、それでも神を信じる事は科学と矛盾しないという作者の強いメッセージと想いが良く伝わってくる。 その為、宗教の場合・・・ 「宗教の定義は宗教学者の数ほど存在する」 との言葉もあるようで、文部科学省における宗教定義集には、104個もの定義が書き込まれているようです。 ここでは一般的にいわれている定義について紹介いたします。 哲学とは 宗教と神話を含む伝統的な物語の集まりであるが、 2つの用語の間にはいくつかの違いがあります。最初に、2つの用語を定義して、2つの用語の違いとその関係を理解し​​てください。宗教は、神や神の信仰と崇拝と定義することができます。一方、神話は、初期の歴史からの伝統的な物語や、特に超自然的な存在を含む自然現象を説明するものです。このことは、宗教と神話が異なる2つの関連機関としてみなされなければならないことを強調しています。神話は宗教のサブセットであるとも言える。この記事 … 真実の追究といった見方からすれば、大乗的な宗教に限って言えば宗教も科学も方向は同じともいえますが、宗教はそれによって得たものを精神論的に応用してきたのに対して、科学は文明の発展の足がかりとして応用してきたものです。 ここで紹介する例はごく一部ですが、宗教と科学がどのような対立をしてきたか、イメージはつかめると思います。 ガリレオ・ガリレイの地動説. 私も、宗教と科学には現象面での違いはあっても、本質においては両者は同じものではないのかという気がします。 補足日時:2006/11/22 13:26. ヨガには宗教的なイメージがあるのでは無いでしょうか? 実はヨガは非常に科学的な一面を持ち合わせているのです。 この記事では知っているようで知らないヨガと宗教の […] お礼コメント. ここが宗教との大きな違いである。. テニスや英語も得意。 こしたのか, その原因についてどんな事でも想像する事ができる, 宇宙の謎を完全に理解している人, 宇宙(現実)について論理的に考えること, 現実というのは誰かが見ている夢のようなものじゃないのか, 「ある考えを確実な証拠なしに支持すること」, 哲学の話をまるで科学の話かのように語る, その二つを合わせたような哲学. 「宗教」 は、信仰の対象であり、 「科学」 とは対照的な存在だと言っていいでしょう。 ただし、その科学は時代と共に変化するもの (新しい発見などによって)ですが、 「宗教」 としての教えは普遍的なものであり、原則的に変わることはありません。 科学や呪術が、自然や事物の因果関係の人間の理解という範疇に収まるのに対し、宗教は、それを超えた力に対する人間の態度と位置付けたのです。 主な違い: 東部の宗教は、中国、東南アジア、インド、そして日本のような東部地域に由来する宗教です。 西洋の宗教はアメリカ大陸のような西部の地域でそしてヨーロッパ中で起きる宗教です。 東洋と西洋の宗教について話すとき、世界は2つの領域に分けられます。 呪術と科学の違い、宗教儀礼や宗教観念と様々な生の側面とのかかわり、神話の社会的・文化的機能など、未開人の思考や実践、聖の領域の特徴を論じた人類学の古典。 Nshatner氏の「科学が宗教だって気付いてない人、どれくらいいるんだ。まさか9割くらいいる?」のtweetから始まった、「科学」と「宗教」に関するアレコレ。※誰でも編集可になっております。引用.. 宗教が哲学のお母さんだったように、哲学もまた、テクノロジーの進展に伴って、近代の科学を生み出すことになったのだ。 でもその一方で、哲学は科学とは別の方向にも自らを進化させてきた。 釈迦は当時の社会で行われていた呪術を否定し,現実社会に目を向け,科学的に解決をはかることを主張し,行動をとった. 呪術と宗教の違い 1.呪術は中心者の神格化だけが教義.宗教の教義は人間が説 … 南山宗教文化研究所 研究所報 第 21 号 2011 年 23 はじめに 報告者3 人は、南山宗教文化研究所の協 力を得て、「宗教と科学」というテーマの下 で読書会を開いてきた。2009 年4 月17 日か ら始まった読書会は、およそ1 ヶ月に1 回 科学の知識と信頼は宗派を超えた広い範囲で共有されているが、宗教の教義と信頼は同じ宗派の人たちの中での共有にとどまっている(非信者にとっては信頼しにくい). このページでは科学と宗教の違い、そして同じところ・共通点・関係をわかりやすく解説します。, まずは両者の簡単な定義から。両者とも厳密な定義はかなり難しいですが、科学は「物事を理屈っぽく探究する営みとその成果」と定義します。, 一方、宗教は「神や仏など人間にとって何か超越的なものを感覚的に信じる営み」と定義します。, ここでだれもが思い浮かべる指摘が「理屈っぽく考えると神って存在しない。科学は理屈っぽい営みで、宗教は感覚的な営みなのだから、宗教と科学は違う」ということ。, たとえば旧約聖書においては「はじめに神は天と地とを創造された」と書かれているためキリスト教徒やユダヤ教徒はこの世の創造主としての神を感覚的に信じます。, しかし、大昔にでき上がった記述をそのまま信じるのは科学的な態度とはいえません。大昔と現代とでは科学の水準が大きく異なるからです。, それに聖書の記述がすべて正しいとしたら、現代で宇宙や地球の始まりを探究する意味などありません。, 次に考えたいのが理想と現実について。これが科学と宗教の関係を考えるうえでの根幹になっています。, なぜなら現実には空気抵抗や接地面との摩擦、そして重力などが作用するため、正確な等速直線運動が起きる環境はできにくいからです。, もし等速直線運動が起きる環境があるとすれば、それは不純な要素(この場合は空気抵抗、摩擦、重力)がない環境だといえます。, 科学・物理学では等速直線運動は現実にはほとんど観察できないとしても理想状態としては(理論上は)起きると見なすのです。, 物理学や化学(ばけがく)にはこの類の現象があふれています。科学は再現性がとても重要ですが、理想状態の再現は条件を整えるのがかなり難しいのです。, でも、よく観察すると「円と直線が一点で接するってどういうこと?実際にはもっと接していない?」と思うはずです。, しかし、そういう現実的なことをいうと円と直線の接触の程度は人によって違って見えるため、みんなに共通した形では計算できなくなります。そこでは答えもズレてしまいます。, そこで数学では「接線は円と直線の一点で接する(円の大きさは問わない)」と世界共通のルールを決めておきます。, 実際には一点で接していないとしても理論上は一点で接しているということにしておくのです。, 科学や数学はみんなに共通の理想状態を想定して計算するからこそ、みんな同じ答えに行きつくのです。, そもそも数学的に完璧な円はこの世に存在しません。完璧な円は人間の思考として理論上は存在するだけのこと。, それから数学として正確な点や線には厚さがありません。そのため数学的な接点には面積がありません。, 現実の線や接点には面積があるとしても数学的にはゼロと扱うのです。これはさきほどの等速直線運動の例と近いものがあります。, 科学の体系は現実にはほとんど観察できない理想状態に基づいています。これってかなり宗教っぽいと思いませんか。, すなわち、科学は現実にはほとんど観察できない理想状態に基づいていることと、宗教は肉眼では見えない神や超越的な存在を感覚的に信じることは似ています。, しかし、宗教(とくに一神教)には信者にとっては全知全能の神がいて、それは自分(あるいは人類)を救ってくれると信じています。, また科学は発展の可能性がまだ残されているため、科学者は先行者の研究を参考に自分の研究を発展させようとします。それは人類の希望となってます。, そのため科学者は「現実よりも理論が正しい」、そして宗教家は「現実よりも宗教の理想や教義の方が正しい」とか思い込んでいたりします。それは倒錯なのですが。, ローマカトリック教会が地動説を正式に認めたのは1992年であるように世の中には科学を信じない人、理屈ではわかっていても感覚的には信じたくない人もいます。, 地動説とは宇宙の中心には恒星(太陽のような自ら輝く星)があって、その周りを地球のような惑星がまわっている説のこと。, 説とはいいますが現代では実際に観察できることです。昔は天動説といって地球が宇宙の中心にあると信じられていました。, 宗教といえば各地に布教するのが基本。しかし、日本の神道はそういう普遍化をめざさなかった宗教です。, 神道が普遍化をめざさないのは唯一絶対の神や開祖、厳格な教典がなく、また起源もよくわからない曖昧な宗教だからでしょう。, 日本が他国に比べるとまだ平和なのは曖昧な宗教観の人が多いことが一因です(強い信仰心をもっていると他人と衝突しやすい)。, 科学と宗教の関係を考えるうえで次に重要なのが、社会に理想を強く求めるパターンもあるということ。その極致が共産主義です。, 理性とは人間が理屈っぽく考える能力のこと。科学は物事を理屈っぽく考える営みとその成果です。, 一般に科学といえば、物質や自然現象などを対象とした自然科学を思い浮かべやすいでしょう。, しかし、人間が他人との中でつくり出した法(人と人の関係を規律する)や経済(人と人の交換・生産活動)なんかも科学の対象となります。これを社会科学といいます。, 社会とは人と人の関係からつくられる領域と考えてください。歴史(人が過去にやったこと)や政治(人の権力関係)も社会科の範囲に入りますよ。, 共産主義における社会の理想とは、みんな仲良く(武力を一切もたない)、みんな平等(差別や格差が一切ない)という状態です。, これは全人類にとって社会の理想状態に見えます。そのため共産主義者は社会の理想状態を実現すべく社会を理屈っぽく設計しようとします。, でも、たとえば政府が金持ちからお金を取り上げまくって貧困層に配るなどして経済格差を完全に平等にすると、それはかえって不平等だといえますよね。, これでは各人は所得を上げようとする意気込みがなくなってしまいますし、政府の権力も強すぎます。, また共産主義を突き詰めると「オレの考えた理想状態こそがみんなにとっても理想状態。だから、それに反抗する奴はすべて粛清してやる」みたいな極端な考え方に行きつきやすいです。, 実際、かつてカンボジアのポルポトという独裁者は自分の理想状態を実現するために理不尽な理由で国民を殺しまくりました。, 理不尽な理由とは、たとえばインテリは理想状態の実現にとって邪魔だからメガネをかけている人を殺すこと(ポルポトにとってメガネはインテリの象徴だった)。, ポルポト以外の共産主義者は「ポルポトが異常だったのであって共産主義自体は問題ない」と主張しますが、共産主義はそういう暴走しやすい性質をもともと秘めているものなのです。, 物理学や数学の世界では理想状態を強く求めるのは問題ありませんが、社会に理想状態を強く求めるのは問題があります。, 物理や数学に理想状態を求めても問題がないのは物体や数字には自我(意識、気持ち)がなく、人間にとってある程度コントロールができる対象だからです。, しかし、社会は人間の集まりであり、人間はそれぞれが複雑な感情をもって動いているため物質ほど自由に他者の状態をコントロールできません。そこでは計算も成り立ちません。, もし全世界の人がまったく同じ宗教や共産主義を強く信じていたら(=社会の理想状態=全人類の思想が一致した状態)他人をコントロールできるでしょうが、現実には無理があります。, そのため社会に理想状態を強く求める共産主義は無理があるのですが、科学者や共産党員の中には未だに共産主義を信じている人もいます。, 共産主義の欠点は指摘されつくされたのですが、それでも信じるのは宗教としての洗脳効果が生じているからでしょう。, 自著の『高校生からわかる社会科学の基礎知識』でも取り扱っているところなので本の方も見てください。. 現状では肯定する根拠が存在し、否定する根拠がないから、 暫定的に事実とみなしている というものである。. 科学と宗教科学と宗教の違いは、その原理と概念にあります。言い換えれば、科学と宗教は、彼らの原則や概念については、しばしばお互いに区別できる2つの分野です。宗教に適用される原則は、しばしば科学には適用されません。逆も真です。 科学と宗教との違い は分かりますか?科学には「正解」があるのですが、宗教には「これが正解」というものが無いという違いがあるのです。特に数学に於いては、、正解は一つだけしか存在出来ない のです。Do you know the difference between science and religion? ヨガには宗教的なイメージがあるのでは無いでしょうか? 実はヨガは非常に科学的な一面を持ち合わせているのです。 この記事では知っているようで知らないヨガと宗教の […] さて、フレイザーは、呪術と科学は正誤の違いはあるにせよ、同じ認識方法、観念連合の作用と考えました。一方宗教については、全く異なる理解をしています。